欠伸

暖かさと寒さを日ごとに繰り返すこの頃にうんざりしていた。
沢山の人達が新しいスタートと都合良く位置付けて、今年の始めに立てた三日坊主の目標をリセットする。
これまで怠けた事は誰も責めない。新しいスタートの季節だから。
多分みんな、桜色の眼鏡でも掛けているのだろう。
全てが優しく見え、許せてしまう季節だ。
そして、全てが輝いてみえる季節。
そんな誰もが期待と希望に胸を膨らませる桜色の季節も、僕にとっては煩わしい程の湿度と自分の堕落ぶりを再確認させる時間を運んでくるものでしかない。



僕は、久しぶりの実家で生産性の無い日々を過ごしていた。
大崎温(ハル)。今年で33歳になる。
一応仕事もしているし、今はたまたま実家に帰省しているだけの事。
今年に入ってからは北海道で仕事をしているが、身内の披露宴があり帰省したら思いの外長居してしまっている。
まぁそれでも、長くてあと2週間はいないだろう。
次、北海道へ行けば、もう余程の事がない限り戻ってこないだろう。
それは、地元を捨てるという事と同義かもしれない。

自分の寿命がいつかなんてわからないから、人生があとどれだけ残っているかもわからないけど、僕は人生を大きく変える決断をした。

子供の頃描いた30代の俺は、温かい家族というものを持って一家の大黒柱として3、4人分の責任という十字架を背負いながらも、忙しくも充実した幸せな日々を送っていた。
それは、毎日汗水垂らして働くそんな父に憧れていたんだと思う。

しかし、今俺は、想い描いていた未来図とは少し違う、いや大きく掛け離れた日々を過ごしている。

だからって、何か後ろめたい訳でも、恥ずかしい訳でもない。
でも、少しやるせない、切ない日々だ。



去年の秋、残暑というよりもまだまだ夏真っ盛りといってもいい頃、 ーそう、日本一暑い場所が俺の生まれ故郷だー  長く勤めていた会社を辞めた。
大学を卒業したあと、内地に行ったり、戻ってきてもいい就職先が見つからず、何も知らないままに、適当に選んで入れた会社だった。
会社と何か、仕事とは何か、ましてや社会とは何たるか等知るはずもない僕だったが、20代が持つ特権とも言える生意気さと余りある体力でみるみると力を発揮し、あっという間に先輩達を追い越し、気付けばすぐそこに頂上が手に届くところまで上り詰めた。
20代の、その時しかない時間を思う存分に使い、表現はどうかと思うが、まさに馬車馬のように働いた。
自分で自分に付けたあだ名は、社畜だった。もちろん、前向きな意味だ。
自分が力を付けていくのを、自分で感じた。
順風な人生の未来図が描けていた。

だが、登り続ける、走り続ける事ばかりしていた僕は、気付けば息切れをしていた。
うまく登れなくなった。うまく走れなくなった。
みんなよりだいぶ先にいた僕が足踏みしてるなんて、後ろの人は気づいていないだろう。
でも、思ったように足が動かなくなった僕は、大崎温は、それだけで崩れてしまった。
もがけばもがくほど、溺れて、深みにはまって、抜け出せない。這い上がれない。
身動きが出来なくなった僕には、休養が必要だった。
ちょっとやそっとの休養では足りない。
小学生が夏休みに自転車で日本一周の旅をして、大きくなって帰ってきました。みたいなやつ。
今の僕には、それぐらいの余裕の時間と荒療治が必要だった。
だが、大の大人がそう簡単に全てを投げ出す事は出来ない。

でも弱音を吐けない僕は、前向きな言葉の鎧を纏い、作り笑顔という剣をかかげ、周りの言葉など全てぶった斬って、生活環境を変えた。

まずはとにかく地元を離れたかった。
誰もいない所に行きたかった。
誰も知らない所で、心も体も休めたかった。
昔、内地でお世話になった人を頼って地元を出た。

新天地なんて輝かしいものではないが、とても心地良かった。
ただただ、何もない時間を楽しんだ。
今までの僕、本当の僕、僕が知っている僕、と少しずつ会えるようになってきた。

何の目的も無い、ただただ歩くだけの旅。
リハビリみたいなものかもしれない。

でも、心が晴れていくのを僕は感じていた。
両手一杯の荷物を一つずつ降ろしていく感覚。
僕の眼鏡も少しづつパステルカラーを帯びてきた気がした。
ゆっくりと流れる時間の中で、僕は大きな欠伸をした。